レスリング代表の吉田沙保里さんが、アメリカのマルーリス選手に敗れ惜しくも銀メダルいう結果になりました。

試合後には号泣しながらの会見に、もらい泣きしそうになった方も多いのではないでしょうか。

称賛の声がある一方で、見苦しいとの批判の声もありました。

ここでは吉田沙保里さんが号泣した理由となぜ批判されたのか迫っていきたいと思います。

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吉田沙保里ってどんな人?

吉田沙保里

出典:http://sports.smt.docomo.ne.jp/

プロフィール

本名     :吉田沙保里
よみかた   :よしだ さおり
出身地    :三重県
生年月日   :1982年10月5日
年齢     :33歳(執筆時)
身長     :156cm
体重     :55kg
世界ランキング:1位
所属     :フリー

吉田沙保里さんは自宅で父が開いていたレスリング道場で3歳の時にレスリングを始めました。

父は元レスリング選手で兄2人と共に、幼い頃から練習をしていました。

厳しい父の指導の元で練習していた吉田沙保里さんはあまりの厳しさに何度も辞めたいと思っていたそうです。

それでも辞めずに続けていき、みるみるうちに才能が開花していきました。

高校時代には日本だけではなくアジア選手権や世界選手権などでも優勝するようになり、大学時代には世界選手権、ワールドカップで立て続けに優勝しました。

夢に見た4連覇!

吉田沙保里が21歳の時に、2004年のアテネオリンピックの代表選考試合でライバル達を破り55kg級の代表に選ばれました。

アテネオリンピックでは初出場ながらも見事「金メダル」を獲得し、その後の2008年北京オリンピックでも「金メダル」を獲得しました。

2012年のロンドンオリンピックでは開会式の旗手をつとめ、旗手をすると金メダルが取れないというジンクスを見事破り「金メダル」を獲得し、3連覇を達成しました。

2015年には世界大会で16連覇をし、次々と記録を伸ばしていき、この大会に優勝した事で2016年のリオオリンピックの出場が決まりました。

調べてみると2015年までに世界選手権やアジア大会で獲得したメダルは26個でしかも全て「金メダル」でした!

吉田沙保里さんに勝てる相手は居ないんじゃないかと思うくらい優勝し続けてますよね。

そんな負け知らずの吉田沙保里さんにリオオリンピックでは、かなりの期待がかかってました。

リオオリンピックで吉田沙保里さんは主将となりチームを引っ張っていきました。

4連覇がかかった試合に釘付けになった方も多くいたと思います。

順調に勝ち進んでいき決勝戦では、吉田沙保里さんの最大のライバルになると言われていた世界ランキング2位のマットソンに勝ったアメリカのヘレン・マルリース選手と対決しました。

吉田沙保里さんのはポイントを先取するも、その後逆転され負け、その瞬間「銀メダル」が確定し4連覇が絶たれました。

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号泣したのはなぜ?

ヘレン・マルリース選手に敗退した直後、吉田沙保里さんはそのまま動けずにうずくまっていました。

試合後のインタビューでは、金メダルを獲ったヘレン・マルリース選手ではなく吉田沙保里さんの元に沢山の報道陣が詰めかけていてヘレン・マルリース選手がポツリと立っていたのが印象的でした。

報道陣に囲まれインタビューされた吉田沙保里さんは号泣しながら「取り返しのつかないことに・・・・」と言い、そして何度も「ごめんなさい」と繰り返しました。

吉田沙保里 銀メダル

出典:http://be-attractive.jp/

銀メダルを獲るだけでも相当スゴイ事なのに何で自分を責めるの・・・と心苦しくなりました。

その謝罪の言葉にはいくつかの理由があったのではないでしょうか。

主将としての責任

金メダルを取れなかった吉田沙保里さんは自分の事を責め、日本の主将として役目を果たせなかった事を悔やんでいました。

主将として「絶対に金メダルを取らなくてはならない。」という重圧があったのかもしれませんね。

レスリングの先輩としても、精神的にも吉田沙保里さんの明るいキャラクターで、皆の緊張をほぐし十分、主将としてみんなを引ってきたと思うので責任を感じないで欲しいですね。

吉田沙保里さんに憧れてレスリングを始めた人も少なくないのではないでしょうか。

「金メダル」を獲ったヘレン・マルリース選手もその1人で、吉田沙保里さんに憧れてレスリングを始め、吉田沙保里さんと試合をするのが夢だったそうです。

金メダルを獲った喜びと、吉田沙保里さんと試合をするという夢が叶ったヘレン・マルリース選手は吉田沙保里さんと同じように試合直後、倒れこみその後2人で抱き合っていたのが感動的でした。

吉田沙保里 試合後

出典:http://rio.headlines.yahoo.co.jp/

 

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果たせなかった父との約束

試合後、母親に近づいた吉田沙保里さんは「お父さんに怒られる」と号泣していました。

女子レスリングが五輪種目じゃない頃から父親は、必ず五輪種目になると思っていて、その事を信じた吉田沙保里さんも幼い頃から「オリンピックで金メダル」を獲るのが目標だったそうです。

父親の予言通り、吉田沙保里さんが21歳の年にアテネオリンピックでレスリングが開催されるようになりました。

父と2人3脚で歩いてきたレスリングという道。

勝利した時には栄勝さんを肩車しているのが印象的でしたね。

いつも隣には栄勝さんがいました。

そんな吉田沙保里さんの指導者であり、良き理解者であった栄勝さんは2014年に急死してしまいました。

リオオリンピックには一緒に行くことは出来なかった栄勝さんの為に「金メダル」をどうしても獲りたかったんでしょうね。

吉田沙保里さんが沢山の人達に勇気や感動を与えた事を栄勝さんは天国から見ていると思います。

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慰めの言葉と辛口コメント

試合を見ていた多くの方から「自分を責めて苦しまないでほしい」というコメントや「胸を張って帰って来て欲しい」という多くの温かいメッセージがあった一方で「シラけた」などの批判もありました。

芸能人では、ミッツ・マングローブさんや歌手の中尾ミエさんなどが辛口のコメントをしていました。

ミッツ・マングローブさんは吉田沙保里さんの涙に「シラけちゃた」と発言した事で、ネット上ではミッツ・マングローブさんに対する抗議がありました。

世間からは「この発言は酷い」や「吉田選手の気持ちもわからずに良く言えますね」という意見があり、吉田沙保里さんの批判を反対する声が多数あがりました。

それに対しミッツ・マングローブさんはブログで非を認め、「弁解はいたしません」との謝罪をしました。

オリンピックの決勝戦に敗れた吉田沙保里選手に関する話題の中で、

「あれは泣きました。」という司会者の言葉に、

私は、「一滴も(涙が)I出なかった。かえってシラけちゃって。」と返しました。

これは、非難されてしかるべき発言だと思います。

申し訳ありませんでした。

引用元:ミッツ・マングローブ公式ブログ

いくら言葉足らずと言っても、もう少し言葉を選んで欲しかったですね。

ミッツ・マングローブさんのサバサバした感じが結構好きだったので、今回の発言は残念でした。

最後に・・・

吉田沙保里さんの大粒の涙の裏には、さまざまな気持ちがあったんでしょうね。

リオオリンピックが終わり吉田沙保里さんは、年齢的にも引退を考えているかもしれません。

今後の動向が気になりますが、今はとにかくゆっくり体を休めて欲しいですね。

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最後までお読みいただきましてありがとうございました!

他にも、『Oops!』と驚くような内容の記事がありますので、楽しみながら読んでくださると嬉しいです。

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