9月5日(月)22時25分~放送のNHKのテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に義肢装具士の臼井二美男さんが出演します。

9月7日から始まるパラリンピックの陰の立役者と呼ばれる臼井二美男さんは数多くのスリートの義足を作り世界に送り出してきました。

ここでは臼井二美男さんがなぜ義肢装具士になったのか、またパラリンピックにかける思いを紹介していきたいと思います。

 

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臼井二美男ってどんな人?

臼井二美男

出典:http://sciencewindow.jst.go.jp/

プロフィール

名前  :臼井 二美男

よみかた:うすい ふみお

出身地 :群馬県

生年月日:1995年

年齢  :60歳 or 61歳

血液型 :B型

職業  :義肢研究員・義肢装具士

義肢装具士になるまで…

始まりは張り紙からだった

臼井二美男さんの実家は農家をしていて次男だった臼井二美男さんは昔から公務員や銀行員などの安定した職業を目指すように言われ続けてきたそうです。

群馬県立前橋高等学校を卒業した臼井 二美男さんですが、卒業後もやりた事を見つけられず色んなアルバイトをしたり多くの人に会って探していこうと考え東京の私立大学文学部に進学しました。

大学入学後、ガードマンやバーテン、音楽事務所でコンサートの企画やトラックの運転手などさまざまなバイトをするようになるのですがバイトに費やす時間が多くなり3年生で中退しました。

両親に申し訳ない気持ちがあり実家にも帰る事も出来ず、21歳から28歳までアルバイトで生計をたてますがこの先自分はどうなってしまうのか常に不安な気持ちで生活していきました。

そんな臼井 二美男さんの転機が訪れたのは28歳の時です。

当時付き合っていた(現在の奥さん)との結婚を意識するようになり、このままではダメだと思い正社員として働く事を決意します。

手に職をつけたいと思い職業訓練に通うようになったのですが、職業訓練所でたまたま見つけた「義肢科」という張り紙をみた時、子供の頃の記憶が蘇り病気で義足になった友人を思い出しました。

その勢いで義肢科に進む事に決めました。

しかし義肢の現場の事が無知な臼井 二美男さんは飛び込みで、ある義肢製作所を訪たのをきかっけで、就職が決まり義肢装具士という未知の世界に飛び込むことになります。

もちろん不安はあったそですが、今までのアルバイトを通して「一生懸命やればなんとかなる」という事を学び経験を重ねるうちに義肢製作の世界にめり込んでいきました。

臼井二美男

出典:https://readyfor.jp/

もともと美術部に入っていて物を作るのは嫌いじゃなかった臼井 二美男さんは入社4年目には膝から下の義足を1から作らせてもらえるようになり年数を重ねるにつれ義足職人としてランクアップしていきました。

作る範囲が増えるにつれ難易度も上がりましたが困難に感じる事はなく、むしろ最初からいいものを作れる訳がないと10年は勉強を覚悟していたそうです。

働き始めてちょうど10年が経った年、たまたま見ていた義肢業界の雑誌に義足のアメリカ人がパラリンピックや登山で活躍している姿に衝撃を受けスポーツ義足に興味が湧くようになりました。

 

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本格的な闘いが始まる

当時周りでスポーツ義足を作っている人は居なかったそうです。

作ろうとしても部品も作り方を教えてくれるところも少なく、それなら自分で作ろうと考え海外文献を取り寄せてメーカーさんや問屋さんに探してもらい発注しました。

試行錯誤しながら完成し作り終わると今度は実際に義足を付けて走ってもらいたくなったそうですが、その頃は義足を付けて走ることなんて病院でも思いつかないくらいの斬新な発想だったそうです。

1人でもいいから走れるようにしてあげたいと考えた臼井 二美男さんは1991年頃、切断障害者スポーツクラブ「ヘルス・エンジェルス」を立ち上げました。

ちなみに「ヘルス・エンジェルス」と付けたのは障害者でも何かに挑戦する気合が必要だろうと思いこの会社名にしたそうです。

最初は転んで骨折したらどうしよう・・・とか不安があったそうですが大きな怪我をした人もいなく練習するとバンバン走れるようになり、自信に繋がっていき明るく前向きになる方も多くいたようです。

中には軽く走れるようになり泣いて喜んだ子もいたそうで、それを見ると嬉しくなると語っていました。

今までしてきた事が報われた瞬間ですよね。

 

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パラリンピックにかける思い

2000年のシドニーパラリンピックでスポーツ用の義足を作る為、何度も作り直し試行錯誤したそうです。

初めて作ったスポーツ義足は走り幅跳びに出場した鈴木徹選手の物でした。

パラリンピック

出典:http://www.asahi.com/

1番大変だったのは「鈴木徹選手の気持ちと義足の調整を図ること」だったそうです。

記録が伸びない時には義足が問題ではないか?とナーバスになっている鈴木徹選手を精神的にも支えたそうです。

2人3脚で作り上げ出来上がった義足なんでしょうね。

今年のパラリンピックにも出場する鈴木徹選手は、ある番組で「事故や病気で亡くなる方もいる中で足が1本なくてもなんともない」と明るく話していました。

ここまで前向きになるまで想像も出来ないような苦しみや悲しみがあったに違いありません。

しかし明るく話せるようになったのは臼井 二美男さんとの出会いが大きかったのではないでしょうか。

今ではスポーツ義足を使う事で健常者と変わらず、むしろ健常者より良い記録が出たりするそうです。

陰で支える義肢装具士あっての記録だと言っても過言ではないでしょう。

最後に・・・

臼井 二美男さんは今や「仙人」と呼ばれていますが、ここにくるまでには沢山の失敗があり時には義足を投げつけられた事もあったそうで、沢山悔しい思いもしてきたと思います。

それでも決して逃げ出さず「自信を取り戻して欲しい」という気持ちで作り続け、体に合わせるだけではなく性格や好みを配慮しながら1人1人の心に合わせて作り、患者さんとのコミニュケーションを大切にしてきた結果が今につながっているのでしょう。

9月5日(月)22時25分~放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」ではさまざまな願いを持った人々のため日々、奮闘する臼井 二美男さんは姿が見られます。

 

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最後までお読みいただきましてありがとうございました!

他にも、『Oops!』と驚くような内容の記事がありますので、楽しみながら読んでくださると嬉しいです。

 

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